白の雪菓子

 重々しいチャイムが鳴ると同時に、校舎にこもっていた歓声が溢れ出す。僕は窓から身を乗り出すように、校庭を見下ろした。1面の、白い海。空は灰色で、そこはかとなく光って見えた。
  窓枠に積もった雪をそっと手に取る。それは柔らかく、さらさらと指の間から零れ落ちた。
  真っ白な息を吐いて振り返ると、思わずスイと目が合う。僕たちは互いに頷き合って、校舎を飛び出した。

「まだ売っているかな?」

「雪が残っている間は、大丈夫なはずだ」

 薄く雪の積もる道を、スイは一定のテンポを保ちながら器用に走って行く。長いマフラーが、風に流れる。僕はほどけかけた自分のマフラーを巻き直し、固い革靴の底で道を確かめるように、慎重な足取りでゆっくりと進んだ。分厚いコートで身を包んだ人の間を抜ける。

 僕たちが向かっているのは、駅前広場にある『ヴィラ・テラ』というコーヒィショップだ。冬場の甘いホットココアは、学生たちの人気の的だ。季節限定のデザァトが豊富なのも魅力だった。鮮やかなチェリーソースのたっぷりかかったフルゥツ・パイや、林檎と洋梨のミックス・パイ、アイスクリィムとショコラパウダーをはさんだクロワッサン。 休みの日や人通りの増える夕方は、店内はいつもごった返している。
  中世の城を模した内装は褐色の煉瓦で覆われていて、店内の所々に油絵が掛けてある。店のロゴの入った紙コップやドーナツを持って談笑する貴婦人たち、羊を目で追いながらカップを片手に休憩する羊飼いなど、どれもユーモラスなものばかりだ。

 店内に飛びこんだ僕たちは、ショウケィスに並んだ色鮮やかなデザァトには目もくれず、真っ先にカウンタァに向かい、顔見知りの店員のお姉さんに小さく注文を耳打ちした。
  彼女は小さく微笑んで、カウンタァの奥に向かう。スイが小さく、やったな、と呟いた。緊張の糸が切れたように、2人して小さく笑った。
  どきどきしながら、僕は店の奥を見回す。まだ時間の早い今日は、埋まっている席は少ない。カウンタァの奥から戻ってきたお姉さんから、星の形をした小さな箱を受け取ると、僕たちは急いで店の1番奥にある階段へ向かった。
  そこはちょうど、レジカウンタァの裏側にあたり、他の席からは見えない秘密の階段だ。それを上ると、2人用のテーブルが2つ収まるだけの小さなスペースがある。2階まで吹き抜けの1階部分に比べれば、勿論天井は低いし、少々閉鎖的なため、僕たち以外の客がこの席を利用しているところは今まで見たことがない。店員からの目が届かないことを良いことに(もしかしたらとっくに気付かれているのかもしれないけれど)、ホットココアを1杯だけ注文して、少しずつ飲みながら一緒に宿題を終わらせることもよくあった。

 おもちゃのような小さな階段を上がり、奥のテーブルに座る。星型の箱を丁寧に開けると、行儀良く並べられた小さな一口大の球体が姿を現わした。
 
僕たちが注文したのは、店のメニュウには載っていない、特別なデザァトだ。雪の日にしか発売されない氷菓子。小さな丸いミルクシャーベットの中に、チョコレイトが入っている。1つ口に入れると、シャーベットの部分がほろほろと崩れていく。

「自分で作っても、この味は出せないな」

「雪の部分が違うのかな」

「そうかもしれない。でも、ここはチョコレイトも自家製だろ?」

「ショウケィスに並んでいるチョコレイトとは、別の物を使っているのかもしれないね」

  スイはチョコレイトの部分を特に気にしているようだったけれど、僕はシャーベットに本物の、特別な雪を使っている気がしてならなかった。雪が降るたびに、僕たちはこの不思議なデザァトについて議論を重ねていたが、1つ2つと口に運んでいくうちに、不思議な甘さに酔わされて、いつのまにか頭の動きは止まってしまうのだった。

「失礼します」

 どこからか、銀色の持った少年が姿を現わした。ピンと皺のない真っ白なシャツに、漆黒のロングパンツ姿。胸元には、同じく漆黒のリボンタイが巻かれている。長めに伸びた髪は、店内に満ちた灯りで橙に光って見えた。店員はみな、小さなエプロンを腰に巻いているはずだから、店員ではない。それは、彼の見た目の年齢からも、容易く判断出来た。ということは、店のオーナーの子供だろうか。

「デザァトをお持ちしました」

「僕たち、頼んだのはこれだけなんだけど・・・」

僕は、もう殆ど空になった星の容器を少年に見せる。スイのケェスは、もうとうに空になっていた。

「今日は特別な雪が降っていますから」

 そういうと、少年は小さな四角い皿を僕たちのテーブルに置いた。綺麗に並んだ6つの茶色の球体。表面に、白く雪の結晶がいくつも描かれている。なんて、細かいのだろう。

「特別な雪の日に、特別なお客様だけにお出しする、特別なデザァトです」

 少年は小さくお辞儀をすると、また静かに階段の下に消えて行った。僕たちは互いに頷き合って、同時に1つずつ口に入れた。少しビタァなココア風味のシャーベットの中に、甘いホワイト・チョコレイトが入っている。僕たちはもう1度、顔を見合わせて2つ目を口に放り入れた。

「ホット・ミルクが飲みたいな」

 スイが呟く。僕は小さく頷いてそれに答えた。勿体無いと思いながらも、皿はみるみるうちに空になっていく。やがて何もなくなった皿の表面に、綺麗な雪の結晶が浮かび上がった。それは、先程の少年から受け取ったデザァトに描かれていたものと同じ模様だ。下の方に、僕たちには読めない外国語で、何か彫られている。

「何だろうね」

「さぁ。全く読めないな」

 スイは皿を遠ざけたり近づけたりしてどうにか文字を読もうとしていたけれど、どうやらそうれは流暢な筆記体の用で、元がどのような文字なのかすら分からなかった。僕たちは、テーブルに置かれていたペーパーをいくつか拝借して、皿を包んだ。割れないようにそっと鞄にしまい、席を立つ。

「あの子に聞けば、分かるかもしれないね」

「どこに行ったんだろう。店員ではなさそうだったし」

 緩やかなカーブを描きながら、ゆっくりと1階へと進んだ。突然、僕の前を下っていたスイが足を止める。

「おい、依央、あれ」

 僕は身を乗り出すようにして、スイの前を覗き込む。突き当たりの壁に、銀色の額に収まった小さな絵が飾られていた。そこには、橙の光りに包まれた、白いシャツ姿の少年が描かれている。胸元には、漆黒のリボンタイ。手にした銀色の盆には、店の名前が書かれている。
  僕たちは階段を駆け下りて、その絵を覗き込んだ。スイが、額の部分を指差す。そこには、あの皿と同じ外国語が、小さく彫られていた。

 

 

  Nisi in bonis amicitia esse non potest.”