空が酷く、淋しい色をしていた。

  窓際に置かれたラヂオから、途切れ途切れの音楽が小さく流れている。

  空は酷く、悲しい色をしていた。

  何だか急に、自分まで空っぽになってしまった気がして、私は窓を大きく開け放ち、紫に染まる空に、手を伸ばした。

 

 

   ラヂオ・ナイト

 

  まるで、水でぼかしたカンバスのようで。
 
紫の絵の具は、ひたひたと空を染めていく。
 
空は酷く、淋しい色をしていた。外からシュチュウの匂いがふわりと漂ってきて、自分が空腹なことに気付いた。生憎、朝食に取ったパンが最後の一切れだったはずだ。後は、冷蔵庫に板チョコレイトが半分。少しのシリアルと、水。
  何か無いかと、部屋を見回してみる。しかし、見えるのは崩れたカンバスの山と、ダンボールのかたまり、端に追いやられた小さなデスクに、転んでいるソファだけだ。隅っこのラヂオからは、懐かしい音楽が聞こえてくる。
 
溜息を1つ落してみる。ぽつ、り。
  そんな事をしている間に、空はどんどん暗くなっていって、下に見える小さな街には、温かな灯かりが、ぽつぽつと付き始めた。所々に点在する細く伸びた煙突からは、静かに煙が流れている。また小さく、溜息を、ぽつり。緩やかな風が入ってきて、また、シチュウの匂いがした。
  私は一先ず部屋を片付けようと、ゆっくり立ち上がって、小さな電球を点した。ぽっ、とした橙の灯りが、無性に可愛く感じられた。
床を占領しているカンバスを一通り片付け、部屋の隅に積み上げた。床を拭いて、端っこに追いやられていた小さなデスクとソファを中央に並べる。 ラヂオの音楽に合わせて、途切れ途切れに鼻歌を交えてみた。くすんだ自分の声だけが身体の中に響く。お腹が鳴った。溜息が、ぽつり、ぽつり。
 ぷつり、と音を立てて
音楽が止まった。 部屋が急に静かになる。電池が切れたのだろうか。ラジオを拾い上げ、ひっくり返す。ザザ、とノイズが響き始めた。音楽が途切れたのは、どうやら電池の所為ではないようだ。仕方なく、デスクの上に置く。風が吹いて、日に焼けたカーテンがふんわりと、大きく広がる。
  ふと、窓際に目をやると、猫が一匹、ぴんと背を伸ばして座っていた。いつからいたのだろうか。何故だか急に恥ずかしくなって、それを誤魔化すように、突然の訪問者に話しかけてみた。

 「ごめんなさい。まだ片付いていないの」

 猫は私の方をちらりと見ると、小さく鳴いた。まるで答えてくれたような返事が可笑しくて、私は猫を招き入れた。すらりとした姿勢を崩さぬまま、猫はゆっくりと歩く。その姿はどこまでも凛としていた。

 「紳士なのね」

 今にも崩れそうなカンバスの山の前で、彼は止まった。小さな電球に照らし出される。 薄汚れているが、毛並みは綺麗な栗色だ。痩せているが、決して骨っぽい訳ではない。何だかとても、端正な顔立ちをしていた。首輪はついていない。野良猫なのだろうか。

 「ごめんなさい。せっかく来て下さったのに、今日は何もないのよ」

 ゆっくりと話しかける。彼はまた、短く鳴いた。私は手櫛で髪を整えて、少しすました仕草で答える。

 「そうね、買い物に行こうかしら」

 それから、部屋を見回す。財布はどこへやったのだろうか。お気に入りのトートバッグを玄関に置きっぱなしにしていることを思い出し、慌てて取りに行く。財布もしっかり、そこに入っていた。おっちょこちょいだね、と笑うように、彼は鳴く。

 「今日は忙しかったから、仕方ないのよ」

 バッグを掴んだまま、ソファに倒れこんだ。安っぽい弾力が、逆に心地良い。一息つくと、また急に、空腹に襲われた。彼はじっと、私を見つめている。

 「――綺麗な色ね」

 彼の眸を、私も見つめ返す。吸い込まれてしまいそうな、深い色。身体が汚れてしまっているのが勿体無いほどだ。しかし、彼自身はそんなことをちっとも気にはしていないようで、私の考えを見透かしたように、また短く鳴いた。
  急に、ラヂオから音楽が流れ出した。驚いて起き上がり、ラヂオを手に取る。何事も無かったかのように、音楽は続く。彼を下ろすと、あの凛とした表情のまま、まだ私を見つめていた。それから急に、興味を失ったかのように、部屋をぐるりと見回し始める。ラヂオの歌は、もう終わりに近付いていた。カーテンが膨らんで、温かな、シチュウの匂い。

 「そうね、買い物に行こうかしら」

 私はまた、呟いてみた。最後のメロディを、ラヂオはゆっくりと奏でている。

 「案内して下さる?」

 彼は私を見上げると、少し間を空けて、今度は長く鳴いた。私はそれを了解と受け取る。
  私が立ち上がると、彼は急に外へ飛び出し、柵をつたって下へと降りてしまった。慌てて目で追い掛ける。彼が走り去った先には、小さな店が1件、柔らかな灯りを点していた。