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 まるでそれは、灰色のフィルタがかかったかのようで。

 

 僕の視界は色を失い、ぼんやりとした白と黒の世界に支配された。

 映画のフィルムのように、カタカタとフィルムを巻き取る音が聞こえてきそうだ。

 僕は何の抵抗もなく、滑らかに動いている。それなのに、流れていく世界はどこかぎこちない。

 

 周囲には、何も、ない。

 まっすぐ続くでこぼこした路を、僕はゆっくりと歩いていた。

 両脇は、草原のようで、遮る物の無い、まっ平らな空間が広がっている。

 僕の行く路は、どこまでもでこぼこしていて、時折吹く風に小石が飛び、ちりちりと足に当たった。

 その度に、フィルタはどんどん曇っていくようで、霞んだ眸を、僕はごしごしと擦った。

 

 やがて視線の先に、短いマッチ棒のようなものが現れた。

 近付くにつれ、それが薄汚れた看板だと分かる。行くと、そのすぐ側に、少年が1人、立っていた。

 年は近いのだろうか。色の薄い髪がぼさぼさと伸びていて、顔の半分を覆っている。

 「何をなさっているんですか?」

 思わず、尋ねてみる。また、目が霞む。

 少年は、風貌に似合わない綺麗な声で、答える。

 「バスを待っているんです」

 どうやらここは、古びたバス停のようだ。よく見ると、看板には時刻表らしきものがぶら下がっている。

 しかし、日よけの屋根や椅子はない。インクのかすれた時刻表からは、バスの本数がかなりまばらなことだけが窺い知れた。

 少年はかなりの間、バスを待ち続けているようだ。しかし、バスはまだ、来る気配がない。

 「失礼ですけど、次のバスが何時に来るか、調べていただけませんか?

 少年の問いで、僕は時計を持ち合わせていないことに気付いた。

 「すみません、時間が分からないので・・」

 「ここに、時計があります」

 少年はポケットから薄汚れた懐中時計を取り出した。色の無い、細い手。

 おずおずと少年の顔を見つめると、長い前髪の隙間から覗いた彼の眸は、深く閉じられていた。見えるのは、髪と同じ色の、長い睫毛。

 僕はそっと時計を受け取ると、錆付いた蓋を外した。汚れた文字盤。

 よく見えないのは、ガラスが曇っているからだろうか、それとも僕の目が曇っているから、だろうか。

 服でガラスを拭いて、時刻表と照らし合わせた。

 「もうそろそろ、来る頃ですよ」

 「ありがとうございます」

 少年はゆっくりと頭を下げる。僕もそれに合わせて、軽く会釈をした。時計を返す。

 「すみません」

 「いえ・・・」

 ブロロ。バスの音が、来る。微かに、油の匂いを嗅いだ気がした。

 ブロロ。だんだん、音が大きくなる。

 ブロロロ。

 バスが来る。

 プシュウ。

 バスが、着く。止まっていた時間が動き出したかのように、少年はすっと背筋を伸ばした。その姿は、どこか凛としていて、美しい。

 僕は彼の姿を横目でちらりと見る。それから、視線をずらして、バスを眺めた。

 なぜか眩しくて、運転手の顔は、見えない。乗客の姿も、黒く光る窓ガラスの所為で見ることはできない。

 やっと辿りついたバスは、またプシュウと1呼吸置き、扉を開いた。

 少年は、ゆっくりと歩き出す。おぼつかない動きだが、しっかりと、バスに向かって歩いている。

 急なステップに、足をかける。手すりを掴む。

 ふと、少年は足を止めた。

 風が吹く。長い髪が揺れ、人形のような顔が現れる。それでも、瞼はしっかりと閉じられたままだ。

 「夢を、見過ぎたんです」

 少年は、口元を小さく緩ませる。

 「現実じゃ、もう、瞼すら開けられない」

 細い手をポケットに入れ、時計を取り出す。

 「これをどうぞ。僕にはもう、必要ありませんから」

 無意識のうちに、僕は時計を受け取っていた。触れた手は、酷く冷たかった。

 少年がバスに乗り込む。扉が閉まり、バスが出る。

 ブロロロ。

 少年の姿を追う僕を振り切るかのように、バスは遠ざかっていく。

 ブロロロ。

 砂埃を、撒き散らしながら。

 ブロロロ。