レモンシャーベット

 

 時計は、五時を回っていた。

 私は膝を抱え、お気に入りのソファに身体を埋めながら、カップのレモンシャーベットをつつく。 さくさくと小気味の良い音をたて、黄色い氷は崩れてゆく。
 
陽は大分延びたが、それでも、低い。遠くを飛ぶヘリコプタァの音が、おんぼろラジオに混じって聞こえた。 ぼんやりとした西陽がゆるゆると部屋の隅に差し込む。流れて行く雲の陰を何気なく見つめていたら、て、て、と小さな足音が聞こえた。
  顔を上げると、ベランダの柵に思わぬ訪問者が立っていた。見慣れた、栗毛の野良猫だ。田舎の古いアパートの二階に住む私の家には、たまに彼のような来客が訪れることがあった。彼も、昔はよくこの狭いベランダに現れたのだが、最近はご無沙汰だった。彼は一人身だったはずだが、もしかしたら彼女でもできたのかもしれない。それとも、新たな住処でも探していたのか。どちらにしろ、久しぶりに姿を見ることが出来たのは嬉しい。
  私は少しだけ開いていた窓を、彼が通れるだけの幅に広げる。スリムな彼は、ほんの僅かな隙間でさえ、難なく通り抜けた。それから私の部屋を一瞥して、変わってないね、とでも言いたげに、短く鳴いた。それに答えるように、私は彼に問いかける。

 「ミルクで良いかしら?」

  ちょっとすました私の表情を、彼はちょっとだけ見やると、また短く鳴いた。それを了承と受け取り、私はキッチンへと向かう。冷蔵庫から小さなパックを取り出し、ガラスの皿に注いだ。
  彼は私のソファの前に、行儀良く座っている。小さなテーブルに置かれたレモンジャーベットを、興味深そうに見つめていた。皿を差し出すと、礼を言うように、また、短く、鳴いた。私がソファに座ると、彼はミルクを飲み始める。よほど喉が渇いていたのか、熱心に皿を舐めている。差し込むオレンジの光に、陰が映し出される。少し汚れた尻尾が、ピンと伸び、曲がり、揺れる。
 私はまた、膝を抱えて、この、お気に入りの深紅のソファに身体を埋めた。

 テーブルのレモンシャーベットは、半分に溶けていた。

 夕焼けを含んだ風に、薄いカーテンが静かに揺れる。その気配に、彼はふと顔を上げる。夕焼けに、眩しそうに目を細める。
  陽が、落ちてゆく。膝に、顔を埋める。何となく、淋しくなった。

 「元気だしなよ」

 そう言われた気がして、顔を上げると、彼がこっちを見つめていた。今度は、ちょっと長く、鳴く。白く濡れた口から、雫がぽとりと垂れた。テーブルのレモンシャーベットは、殆ど溶けていた。

 「そうだね」

 私はカップに使ったままのスプーンを握ると、溶けたレモンシャーベットを一すくい、口に入れた。ひんやりと、身体に染みてゆく。残しておいたスライスのレモンを齧ると、そのすっぱさで、何となく、目が覚めた。

 彼は、もう、いなかった。

 安物のカーテンだけが、淋しく揺れている。

 小さな部屋に橙の匂いを残しながら、今日が、終わってゆく。